佐々木毅 『政治学は何を考えてきたか』

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私の尊敬する政治学者、佐々木毅先生の著作。
今回は本著に関する直接的な感想ではなく、政治学に係る個人的な考えの整理を綴ってみたい。

政治学は社会科学である。社会科学は程度の差こそあれ必ず現実を対象とした学問である。その意味において、本著は現実の政治と政治思想の接合点をたどるという形で20世紀の政治学を俯瞰し、21世紀の政治学の方向性を模索するものだと言える。

20世紀の政治、殊に大戦後の政治(本著でいうところの20世紀体制)は、総じて「単線的」な線分上の位置取りという形で議論を収斂しやすい、実に稀有な時代であったと思われる。

まず、政体論としては、数多の脆弱性を内包しながらも民主政治が他の政体に比して相対的に正統性を獲得した時代であったと言える。その為、民主政治体制内の制度論上の議論はあっても、民主政治そのものが論難されることは避けられた時代でもあった。

そしてイデオロギー面では、冷戦という大枠の存在により本来大きな政治的関心事項であるところの軍事問題が超大国に集約され、また本来政治的争点となり得る数多のサブカルチャー(政治にとってのサブカルチャー)が封殺されたことにより、各国はもっぱら経済面に専念する、専念できる環境であったと言える。これはつまり、自由主義と社会主義を両極とする政治的イデオロギー軸と資本主義と共産主義を両極とする経済的イデオロギーとが限りなく重なり合った状況であった。

各国の政治はこのように限りなく「単線」に近い数直線上の位置取りとして論じられることが可能であったのが20世紀体制であったと総括できよう。

即ち、民主政治を前提に、各国政府の政治的手法がどの程度経済活動に関与し結果の平等を保障するかという社会主義的側面の程度論に大枠の議論が収斂されたのが20世紀である。東西どちらも結局はそのように扱うことが可能であった。裏を返せば、民主政治と自由主義の相克の時代とも言えようか。

しかし、経済のグローバル化による主権国家という枠組みでの経済への関与の限界の露呈や、冷戦の終了によるサブカルチャーの政治的争点としての台頭などにより、20世紀終盤以降政治学は政治を多次元的に論じられなければならない時代になった。むしろ本来の常態に戻ったと言うほうが穿っているか。

まず、グローバリゼーションに伴った民主政治という議論は、これまでの一国民主主義とは土俵の異なる、制度論の枠を超えた体制論であると言えよう。いや、ウェストファリア以降の国際政治の前提であった主権国家林立体制の枠内に収まらないテーマを内包する以上、主権論、ガバナンス論から始めなければならないだろう。

また、これまで冷戦によって押さえつけられてきた、政治的動員力を持った多様なアイデンティティ・ポリティクスの台頭とも政治学は向かい合わねばならない。
皮肉にも冷戦は、各国が内部的コンセンサスを形成しやすい舞台装置として、即ち民主政治が機能しやすい環境として機能していたとも言えるのではないだろうか。
今後、民主政治を上回る正統性を獲得する政体が登場することは俄かには想像し難いが、民主政治の正統性の絶対的低下の可能性は十分にあると私は思う。民主政治も挑戦を受けているのである。

こうした現状に対し、例えば多階層的なガバナンス論など、新たな政治理論が登場しているが、佐々木先生は非常に慎重であると今回感じた。状況があまりにも複雑すぎ、手探りという感を否めなかった。いや、その複雑さと真正面から真摯に向き合っているというべきか。

いずれにしても今後の政治と政治学の行方からは目が離せないと感じた次第である。

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